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自分の生き方③〜大阪本社転勤

ビジネススタイル

こんばんは、KKです。

前回、子供の頃の家庭環境や入社した頃の事を①で記載しました。

今日は四国の現場勤務から大阪転勤の生活は②でお伝えしました。

少し②と被りますが③としてお伝えしていきます。

大阪本社転勤は偶然の結果

四国に店舗配属で僅か3年で役職が付き同期で1番の出世、四国勤務から4年で転勤の人事異動が発令されました。

大阪の新規店舗のスタッフです。

晴れて大阪に戻れる事。同期で1番の役職者という事。

地方から脱出できる喜びと、知り合った女性(後の奥様)と離れるという不安。

実は未だ付き合ってはいませんでした。

そんな不安と希望に満ち溢れる人事異動発令がなぜかストップ。

理由は勤務予定の新規店舗が建築が遅れてオープンが半年も遅れるという理由でした。

正直『なんで俺はいつもこんな目にあうのか…』

そんな風に思ったのは事実です。

そして人事異動発令の修正。

行き先は新店舗から大阪本社。チョッとビックリしました。

現場が好きで、クルマが好きで選んだ仕事ですが、4年で本社勤務。

人前で話すことやコミュニケーションが苦手で、大学は機械工学専攻でエンジニアを専攻。

大阪本社の配置先は人前で研修をする仕事です。

人見知りの理系が人前で話す仕事。既に会社を辞めたい気持ちでした。

店舗勤務経験が4年しかない私は先ずスーツで事務所に出勤する事も初めて。

コピーや社有車を借りる事も初めて。1991年頃の話ですが、パソコンを打つのも初めて。

先ずは4年遅れのサラリーマン1年生スタートです。

そして人の前で話す仕事。経験が無いのに店長にマネジメントを教えたり、リーダーシップを教えたり。本当に辛かった反面、本を読んで勉強した時期です。

上司A課長から『人前で1時間話す時はその内容の10倍は下準備が必要』と言われました。

受講生が20人ならば、述べ20時間も相手の時間を割いている。プロならばそれ位の準備しなさいと。

この時に話の目的とレジュメ、そして導入アイスブレイクとPDCAを考える癖はつきました。

努力すれは好転する

苦手な仕事ですが、人前で話す事でテクニックも身に付きましたが、参加者の方と真剣にコミュニケーションがとれるようになりました。

要するにテクニックだけではなく、伝えたい思いも伝わり、受講者様に評価されるようになりました。

苦手も努力したら克服できるという意識も芽生え、人生の転機を迎えます。

四国で心残りであった女性(現在の奥様)と30歳で結婚。そして営業職への人事異動。

配属先は又四国高松です。

しかし、もう左遷とかそんなイメージはありません。

会社の中で与えられた場所と役割を全うするだけ。

恐らく、人前で話す仕事を克服出来た事で、『経験はスキル』という意識と自信があったのだと思います。

高松で営業職を3年経験し、当時の B部長 に連れられて福岡に転勤。実はこのA部長は新入社員で大阪で3ヶ月勤務した時に優しく声を掛けてくれた方でした。

九州は四国より大きな市場。そしてやり甲斐のある役割。

課長島耕作ではありませんが、地方都市で勉強が出来た漫画のような九州生活がスタートしました。

当時は何年いるとか考える事は無く、奥さん、長男4歳、長女0歳と帯同で異動。

営業職としてやり甲斐もあり仕事三昧。

店長とサシで話すためにお店の営業後の21時から打ち合わせや、改装を一晩でやるなど、兎に角、無茶苦茶に働いて…

周りからは

『あの法人に入り込んで業績を上げるとは…』と見られるようになり、営業課長に昇進。

これだけ仕事をして子供2人を育て、文句言わず家庭を守ってくれた嫁さんには心から感謝です。

本当なら離婚だと思います。

そして2006年には全国で誰もやった事がない4店舗同時の店舗交換、営業譲渡。プライベートでは嫁さんの実家の近くにガレージ付き一軒家も。人生初の単身赴任になりましたが、全てが上手くいった時期です。

2008年には新しい店舗のオープン担当となり、最高売り上げを記録し日本一に。

このオープンで燃え尽き症候群のようになりました。

停滞と転機

それまでの営業職での経験から営業企画室の課長へ。

戦略を練ったり戦術を考えたり。

持論は『世間に情報あり、現場に答えあり』

マーケティングの神様と言われるまでになりました。

何より経営者の前で戦略をプレゼンする仕事です。

この時、入社5年目で人前で話す仕事が役に立つとは驚きました。

この時には東京本社からも注目される存在となり、

『マーケティング戦略に詳しい奴がいて実績を出している』とマーケティング部に言われるまでに。

そんな時代を経験して周りからは東京本社のマーケティング部長に適任といわれましたが、転勤も転居もそして昇進もない停滞の時期。

やり甲斐が空回りで会社からは評価されていない事に気付きました。

人生や生き方の自己啓発をしたのはこの頃ですが、

仕事の停滞感やストレスを自分で息抜き出来たのは九州という素晴らしい自然です。人見知りの私がSNSやオンライン、オフラインとプライベートで新しい事に挑戦するようになりました。

糸島、阿蘇そして久住高原。

アルファロメオで繋がった九州の皆さん。

正直アカの他人がネットで繋がり、オフ会で会う…

無茶苦茶気持ち悪かとイメージです。

しかし、マーケティングの持論でもふれましたが、

世間ではオンライン、オフラインの言葉があり、それを信じて参加してみました。

プライベートでの息抜きは『挑戦』を教えてくれました。

マーケティングを外れて

そんな私は2012年に得意なマーケティングを外れ、別事業の部長に昇進。

もうこの時には外されたとかネガティブな思考はなく、

前向きに『挑戦』するモチベーションでした。

部長になったのが自分に知識がない別事業。これが結果的に良かった。

部下に素直に頭を下げて教えてもらう。

部下と上司の関係ではなく、ビジネスパートナーです。

この時の別事業3年の経験は47歳のオッさんでも人間変われるタイミングとなりました。

素直、協力そして挑戦。

九州では色々と学んび、気がつけば2001年から2015年3月まで13年間の思い出となりました。

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