クルマ好き、仕事好き!単身赴任オヤジの雑記blog

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自分の生き方①生誕〜学生時代〜入社

ライフスタイル

こんばんは、K-Insghtです。

今日は自分の過去の経験や生き方について説明しながら、ターニングポイントや自分の考え方など、

振り返って見たいと思います。

シャイな大阪人で勉強は普通

元々生まれは大阪市内の九条という場所で生まれています。

正直、あまり良い環境ではなくベタベタの下町と思います。

本籍は同じ大阪市内の城東区でしたが、親が結婚して初めて住んだ場所と聞いた事があります。

オヤジはサラリーマンでしが、私が小学校3年生くらいに起業しています。

小学校時代は『社長の息子』と同級生からイジられる生活でしたが、

両親ともに働いていたので、俗に言う鍵っ子でした。勉強もスポーツも普通。

算数が得意で計算だけでなく因数分解とかを小学校3〜4年生からやっていました。

小学校5年生くらいでオヤジの会社が倒産。

雲仙旅行の前日に小切手の不渡で確か2,380万円だったと記憶しています。

債権者からの取り立てなども記憶にあって、2つ上の姉貴と押し入れに隠れていた記憶があります。

オヤジは機嫌が悪いとモノを投げる癖がり、子供の頃は近所に聞こえるくらいの怒鳴り声とかもありました。

お金の苦労はありましたが、母親が親戚に頭を下げて工面していたというイメージです。

会社は潰れてましたが、朝から晩まで兎に角努力するオヤジ仕事熱心な性格は、

遺伝子で自分にも継承されている気がします。

高校も公立の普通科。至って普通ですが昭和39年生まれの世代ですが、爪入り制服ではなく、テーラードジャケットという洒落た学校でした。

この頃、オヤジは会社を2度目で立ち上げて、マニラにも住んで仕事をしていました。

中卒のオヤジがカタカナ英語でビジネスをやっている姿や 、大きな携帯電話を持っている姿は今でも覚えています。

当時、携帯電話の基本料金は3万円くらい、自営業か怖い人しか持ってなかったと思います。

大学生から就職での変化

会社経営とは裏腹に大学は現役では失敗。

予備校に通い2度目で合格出来たよ行った微妙に親不孝です。

予備校は大阪ミナミの難波予備校。勉強とは別に宗右衛門町や鰻谷に詳しくなったのは

この頃です。

ここだけ見れば舐めた息子ですが、自分の中ではシャイな大阪人、貧乏で普通の生活から、

小さな楽しみを得た時間でもありました。

高校時代で1つ忘れていた事がります。ロックバンドをやっていて、髪の毛はロン毛。

ロッドスチュアートというかツイストの世良さんのように、肩までかみのけがありました。コンサートも文化祭だけでなく市民会館でもやっていました。

当時、心斎橋の阪根楽器で買ったGreco GO-1400

大学にも行かせてもらいましたが、生活は変わらず微妙に貧乏。

後から知りましたが、母親が親戚は勿論ですが、会社が倒産したときに迷惑を掛けた方々に、お金を返していたそうです。

オヤジの破天荒な生き方と地道にコツコツと恩返しをする生き方も教訓になっている気がします。

大学生時代の記憶では成人式に行かなかったこと。

スーツを買うお金がない事を知っていたので、『行きたくないからいらん』と、

親に嘘をついた記憶もあります。大学に行かせてもらっているので、少しでも出費を抑える気持ちでした。

大学時代は大阪のスーパーイズミヤでバイトの毎日。

お金は自宅に入れるわけでもなくクルマが欲しかったから…

最初に買ったクルマはホンダZ360。

他の人と同じクルマが嫌という変わった嗜好ですが、お金が無かったので19万円で買ったと思います。そしてスーパーシビックに乗り換え。

20歳で買ったシビック、この後レース用エンジンや車高長も

大学は工学部機械工学科でエンジンの研究をしていましたが、就職はエンジニアは無理と判断。

クルマが好きだったので自動車メーカー、HKS、自動車と違いますが、

大阪本社の製造業でシマノも受けましたが、縁あって現在の会社に入社しています。

当時は黄色の眼鏡を掛けたりと、シャイな大阪人の癖に微妙に自己主張が強い。

地味な顔や性格やからわざとなのか?本心なのか?自分のことです本意はわかりません。

就職して3ヶ月で地方に転勤

無事に大阪で小売業のフランチャイズ事業会社に就職。

新入生は勿論ですが小売の現場に配置。

大阪南部の大阪狭山市で勤務していましたが、3ヶ月で四国に転勤の人事異動。

当時昭和62年でも地方勤務は左遷というイメージです。実際にもそうだったと思います。

大阪から地方転勤。田舎暮らし、初めての一人暮らし。

そして方言を聞く毎日。大阪弁も方言ですが、田舎を馬鹿にした毎日でした。

休みの日も遊ぶところはなく、現地の若者はスナック通いとパチンコが趣味…

本当に嫌な生活でしたし、ひねくれていく自分を感じました。

仕事は逆に同期の中で最初の役職がつきました。

やる事が無かったのでガムシャラに仕事をしたからと思います。

因みに車は3台目に乗り換えて、前山ダムや大阪の金剛山の峠でドリフトをする生活。

中山サーキットのライセンスまで取るクルマ生活。

4台目としてオールドのジュリアクーペを150万円で購入。

やっぱりシャイな大阪人の普通の人ですが

思考は普通ではなさそうです。

若い時期に転勤して地方生活という環境で、努力したら結果が出るという経験が出来た事、

そして現在の嫁さんと知り合った事で、田舎≒嫌いでもなくなりました。

当時、私は27歳で嫁さんは20歳で年は7歳も下。

そんな若い女の子が物怖じせずに手玉に取る愛嬌と周りを明るくする雰囲気。

今まで普通であった自分の悪いところや地方転勤で自分にある劣等感を、

全て払拭してくれたのは彼女のおかげです。

彼女はお父さんが建設会社、お母さんが不動産会社を経営。裕福な育ちで私とは真逆ですが、

同じ自営業で育ったとう共通点もありますが、教えられたのは、お金は気持ちを豊かにする事、

自営業で育っていると『無駄遣いは普段はしない』という生活習慣。

逆に貧乏で育った自分の方が無駄遣いも多く、劣等感という気持ちが悪いサイクルになっていると感じた時期です。

子供の頃から微妙に貧乏、スポットライトが当たらない生活、シャイな性格と普通の能力。

努力はするタイプで貪欲だが成果は出難い。

人生うまく行っているとは思えないが、転がり落ちるほどのどん底でもない。

貧乏や劣等感はハングリーという気持ちやモチベーションを生みますが、

卑屈になることで周りの社会から自ら離れいく悪いサイクルもあると感じます。

私自身は周りに良い影響を与えれられているか?わかりませんが、

自分の生き方が自然と周りに良い影響を与えるということに気付きました。

そして、大阪転勤という環境変化を迎えます。

続きは次回自分の生き方②で。

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